autosport webでは、2022年シーズンも世界各地のさまざまなモータースポーツ情報をお届けしてまいりました。ここでは2022年編集後記と題しまして、各カテゴリーの担当スタッフが選んだ個人的ベストレースをご紹介いたします。
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■MotoGP第20戦バレンシアGP/タイトル争いとスズキ最後の頂点
二輪レースのなかで、必要不可欠な選手権は世界最高峰のMotoGPクラス。2022年は全20戦が開催され、いろいろなことが話題になりましたが、最終戦バレンシアGPはその要素が一番濃いレースとなりました。
まずは、どんどんと勢力を上げていたドゥカティのエースライダーであるフランセスコ・バニャイア(ドゥカティ・レノボ・チーム)、2連覇をかけた2021年王者のファビオ・クアルタラロ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)のチャンピオン争いがこの最終戦バレンシアGPまで続きました。
現地には、テストライダーを務めた青木宣篤さんも駆けつけていました。全日本ロード最終戦と被ったため、現テストライダーの津田拓也選手はいませんでしたが、筆者は鈴鹿で津田選手に会っていました。鈴鹿はレースが終わり撤収作業中、バレンシアはレース前でしたが、感慨深い表情をしていた津田選手も印象的でした。
レースはバニャイアと他車との接触もあり、激しいバトルが最後まで行われました。優勝はご存知の通り、この年で撤退するスズキGSX-RRを駆るアレックス・リンス(チーム・スズキ・エクスター)でした。
後に、現地に行っていた日本人カメラマンから、リンスは「グリッドでタンクに伏せて泣いていた」と聞きましたが、5番手からロケットスタートを決めてホールショットを奪うと、一度も前を譲ることなくトップでフィニッシュ。スズキのマシンのポテンシャルを見せつけてくれました。
このチーム、マシンが2023年に見られないことは本当に悲しいですが、ホンダに移籍するアレックス・リンスとジョアン・ミルを応援したいですね。
2020年のミルのチャンピオン、2022年最後のレースのリンスの優勝を見せてくれたチーム・スズキ・エクスターは忘れないでしょう。(編集部:山口)
■全日本ロード第8戦鈴鹿 JSB1000/第2戦でのリベンジに燃える渡辺一樹
2022年の全日本ロードは、前年に10レース連続優勝をしていた中須賀克行選手(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)の強さと、渡辺一樹選手(YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN)の猛攻が見られたシーズンでした。
第2戦鈴鹿2&4では、雨のレース2で中須賀選手と渡辺選手の入れ替わりのトップ争いがあり、スーパーフォーミュラファンからも拍手が送られました。この戦いがあったからこそ、第8戦への期待が大きくありました。
渡辺選手は、その他のサーキットでは、データ不足などによりなかなか首位に立てませんでしたが、第8戦鈴鹿では第2戦のリベンジに燃えていました。鈴鹿8耐やMotoGPへの参戦も経て、どうにかして第2戦の雪辱を果たすべく、3レース制の最終戦を組み立てていました。
ホールショットは岩田悟(Team ATJ)、清成龍一(TOHO Racing)、濱原颯道(Honda Dream RT SAKURAI HONDA)と3レースともに違うライダーになりましたが、やはりレースを引っ張ったのが中須賀選手と渡辺選手でした。
タイヤマネジメントなどもあり、ペースを抑える場面もありましたが、絶対に最後は自分がトップでチェッカーを受ける! と聞こえてくるほど、後半戦はどのレースも維持の張り合いが感じられました。
レース3は、亀井雄大選手(Honda Suzuka Racing Team)もトップ争いに入りますが、ラストラップまで中須賀選手と渡辺選手の攻防があり、中須賀選手もラインを選びながら抜き返します。渡辺選手も諦めずに何度もアタックを仕掛けていました。
結果的に2021年と2022年は全レース中須賀選手が勝利を収め23連勝となりました。結果だけ見れば圧勝に見えますが、鈴鹿戦の攻防は見た者にしかわからない感動がありました。(編集部:山口)
■MotoGP第16戦日本GP Moto2/日の丸を背負う小椋藍の熱い目線に感動
2022年からautosport web二輪班に配属になった私。MotoGPやSBK、全日本ロードレース、鈴鹿8耐と、二輪レースをここまでウォッチしたのは初めての経験でした。そんな私が選ぶ「2022年、最も印象に残ったレース」は、やはり多くの日本人の心を熱くさせた2022年MotoGP第16戦日本GP Moto2クラス決勝。そう、小椋藍(IDEMITSU Honda Team Asia)が優勝を果たし、見事な母国凱旋を飾ったレースです。
決勝の中盤、14周目でトップに立った小椋が徐々に後続を引き離している様子を見ながら、「お願いだから、このままチェッカーを受けさせてあげて」と、誰もが願っていたことでしょう。観客の中には、IDEMITSU Honda Team Asiaの青山博一監督が手を上下する「落ち着けポーズ」を真似する人もいました(笑)。そして、見事に小椋がぶっちぎりでトップチェッカーを受けた瞬間には、メディアの人間という立場ではありましたが、心から感動しました。小椋のガッツポーズは、今でも目に焼き付いています。
1990年代のWGPでは、中量級クラスで日本人ライダーが優勝することはそれほど珍しいことではなく、日本GPの表彰台でも、毎年のように日の丸がはためいていました。しかし時代の移り変わりとともに、日本人ライダーにとって世界の壁は次第に高いものとなりました。母国GPで日本人ライダーが優勝を飾ったのは、青山監督が250ccクラスを制した2006年が最後。小椋は16年ぶりの快挙を成し遂げたのです。
レース後の「表彰台からの景色、モテギは自分がよく知っているコースで、知っている景色。あぁ、日本で勝てたなぁと実感しました。スタッフもファンもみんなが喜んでくれました」というコメントも印象的。小さい頃からの夢を実現できたことのうれしさがヒシヒシと伝わってきました。
しかし、この感動的な優勝も小椋にとってはあくまでも通過点でしかありません。まずは2022年にあともう少しのところで掴み損ねてしまったMoto2王座を獲得し、2024年はMotoGPへのステップアップを果たすこと。それが小椋自身もファンにとっても共通の願いでしょう。
そして、いつか最高峰クラスの母国GPで表彰台に立つ小椋の姿を見ることを期待しようではありませんか。(編集部:青柳)