秘密兵器が敵の手に…とはいえ痛手のみでもなかった「ベレンコ中尉亡命事件」のその後

冷戦のさなかにソ連のパイロットが秘密兵器たる最新戦闘機で飛来……歴史に刻まれる「ベレンコ中尉亡命事件」は文字通り一大事でした。ソ連にとってはとんでもない痛手ではあったものの、怪我の功名的な影響もありました。

よくぞ世に出たなぁ……唯一無二のガルウィング軽スポーツ!! マツダAZ-1は奇跡の積み重ねだった!!

マツダAZ-1という変態グルマを作れたワケ

 マツダ5チャンネル体制時、オートザムから1992年に発売された軽スポーツカー「AZ-1」。軽自動車唯一のガルウイングドアを採用するなど、強烈な個性を放ったモデルだ。マツダはなぜこのようなマニアックすぎる変態マイクロスポーツカーを作れたのか…

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生まれ故郷 立川へ「一式双発高等練習機」旧陸軍の万能機 80年間どこにあった?

第2次大戦中の旧軍機、一式双発高等練習機が2021年に引き続き、2022年10月にも立川で公開されました。同機は、航空遺産にも認定されるほど貴重な機体だとか。どこがレアなのか、そして立川に来る前はどこにあったのか振り返ります。

最初は木造船!? 極寒の荒波に耐えた歴代の南極観測船 やっぱりすごかった!

南極と日本の関わりは1911年に白瀬 矗(のぶ)が計画した南極探検から始まります。戦後になると定期的に観測が行われ、そこに向かう南極観測船がいくつも建造されました。極寒の荒波を進んだ南極観測船は、それぞれ逸話を残したスゴイ船ばかりです。

「はつかり」ならぬ“がっかり”は最初だけ? 初の特急形気動車キハ80系 開発も一苦労

いまや全国で見られるディーゼルカーによる特急車両。その元祖というべき車両が国鉄のキハ80系です。設計に起因する多くの問題を抱えつつも、動力近代化を推し進め、特急列車を身近にした立役者ですが、最初は不名誉なあだ名もありました。

発想は「走る機関銃」 これで戦場には出たくない…幻の珍兵器「モータースカウト」

装甲を施し内燃機関を持つ戦闘車両すなわち「装甲車」は、ガソリンエンジン黎明期よりその発想はありました。しかし世界初の装甲車といわれるものは、現代装甲車とは似ても似つかぬものでした。19世紀末、幻の珍兵器のお話。

一度はホンモノの軽トラの楽しさを味わうべし! クルマ好きがスバルサンバーを崇める理由とは?

一度はホンモノの軽トラの楽しさを味わうべし! クルマ好きがスバルサンバーを崇める理由とは?

軽トラック業界はかつてスズキやスバルなど5社が自社開発車を揃えるというバライティに富んだジャンルだった。ここではそのなかでマニアックな存在、自社開発車の生産終了から今年で10年が経ったスバル自社製サンバーを、サンバーオーナーだったことがある筆者が振り返る。

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渋谷~原宿は「乗務員泣かせ」の難所だった 昔の山手貨物線 「絶対に煙を出すな」区間

山手貨物線にSLが走っていた頃、渋谷~原宿付近は「乗務員泣かせ」の難所でした。やや上り勾配となり、推進力を得るために石炭を多量にくべなくてはなりませんが、それが禁止されていたからでした。

ドイツ巡洋戦艦「グナイゼナウ」進水-1936.12.8 最期は自沈も一部砲塔は現存

ドイツ海軍の巡洋戦艦「グナイゼナウ」が1936年の今日、進水しました。シャルンホルスト級巡洋戦艦の2番艦で、主に通商破壊戦に参加し連合軍と対峙しました。主砲の大型化が計画されるものの実行されないまま自沈処分されています。

鉄道開通時は“海” 新橋~品川間はどう変わった? 浜松町&田町 発展支えた「貨物線」とは

新橋から横浜を結んだ日本初の鉄道が開通し、今年で150年を迎えました。旧新橋駅や「高輪築堤」などが所在する地元の東京都港区で70年以上にわたり鉄道の発展を見てきた筆者が周辺の変遷を紹介します。第二回は、浜松町・田町エリアです。