2021年最終戦で優勝し、小室旭と同ポイントながら優勝回数で上回り大逆転でチャンピオンを獲得した尾野弘樹(P.MU 7C GALESPEED)。2022年シーズンは、小室が一線を退き、尾野のライバルと目されたライダーは全日本ロード3年目を迎える木内尚汰(Team Plusone)だった。実際にモビリティリゾートもてぎで行われた開幕戦は、木内との一騎打ちとなり最終ラップにかわされ2位となった。
「開幕戦は、木内選手とのバトルになると予想していましたし想定内でした。優勝できなかったことは想定外でしたけれど……」
この開幕戦で3位に入ったのが、J-GP3クラス初レースだった上原大輝(Team Plusone)だった。このとき上原は、し烈な3位争いを制していたが、トップ争いからは離されており、このまま表彰台の常連になるとは誰も思っていなかっただろう。しかし、2戦目のSUGOでは、事前テストから速さを見せ、決勝でもトップ争いを繰り広げる。そして筑波ラウンドで尾野は上原に後塵を拝してしまう。
「筑波のレースで2022年シーズンに注意するライダーが固まりましたね。結局、シーズンを通じて表彰台に上がったのは、SUGOで木内選手が転倒したことで若松(怜)選手が3位に入っただけで、後は僕とTeam PLUSONEのふたりだけでしたから」
筑波で“負けを認めざるを得ないレース”をJ-GP3ルーキーの上原にされたことで、世界を戦った経験もあり、ゼッケン1をつける尾野のプライドは大いに傷ついた。世界から戻り、全日本ロードJ-GP2クラスを走り、2020年はST1000クラスに参戦予定だったが、コロナ禍の影響でレースに出ることができなくなってしまう。そんな尾野にオファーがあったのは、ダンロップのタイヤ開発を行いながらJ-GP3クラスに出場することだった。同じく実戦開発をしている宇井陽一が第一段階の選別を行い、尾野がさらにテストを進めている。
「シーズン後半戦は、全て勝って力の差を見せたいと思っていました。その最初のレースとなったオートポリスは、苦しいながらも勝つことができたのは大きかったですね。事前テストから2人が速く、厳しいレースになると思っていましたが、何とか自分の引き出しを駆使して走りました。レース展開にも助けられた部分もありましたね」
予選では木内がポールポジション、上原が2番手と続き尾野は前年のタイムも出すことができず3番手となっていた。実戦開発を行っているため、レースウイークの金曜日にもテスト項目があることが多く、実績のあるものに戻ることは難しい。ライバルたちは抜群のコーナリングスピードを見せていたが、尾野も7C藤沢氏のエンジンでストレートでは、アドバンテージを持っていた。
決勝では、この有利な部分を生かしながら、あの手この手を駆使しながら勝利を目指していく。さらに追い上げて来た上原と木内が絡む尾野にとってラッキーな展開もありトップでゴールすることができていた。
「オートポリスでの勝利は大きかったですね。本当に苦しかったですし、そこを制することができたのは、チームのおかげです。振り返ってみると、この優勝でシーズンの流れも引き寄せることができたと思います」
続く岡山国際サーキットでは、予選でコースレコードを更新。決勝は尾野がレースをリードし上原との一騎打ちとなるが、残り3周で赤旗が提示される。上原にしてみれば最後の勝負を仕掛ける前にレースが終わってしまった形となったが、この勝利で尾野は2連覇に大きく近づくことになる。
「岡山では、予選で、うまくコースレコードを塗り替えることができましたし、赤旗がなくても勝てる感触がありましたね」
「鈴鹿はホームコースですし、2021年は独走で勝っていたので、その再現が理想でしたが、蓋を開けてみると“ギリギリ勝つことができるかな?”と理想は、現実的ではないという状況でした。予選でトラブルがあり、最後にアタックできなかったのですが、ポールタイムは素直にすごいと思いましたね」
最終戦も赤旗中断のある荒れたレースとなった。残り5周で再開されたレース2は、上原が圧倒。尾野は木内との2位争いを制してチェッカーを受け2年連続チャンピオンを決めたのだった。
「苦しいレースも少なくなかったですが、自分の持てるテクニックを駆使して戦うことができました。上原選手、木内選手というライバルがいてくれたこそ各コースのタイムを3人で上げていき、レベルの高いレースができました。内容の濃いシーズンになったと思います」
今のところ同じ体制でJ-GP3クラス3連覇を目指す予定だという尾野。2022年に2勝を挙げた上原は、別の道を歩むためひとりライバルが減ることになりそうだ。
「J-GP3クラスは、急に伸びてくるライダーがいるので、ライバルが抜けたからと安心できません。新しいシーズンが楽しみでもあり、ドキドキする部分ですね」
自らのチーム“Team HIRO”では、後進の育成を地道に行い続けており、アドバイザーの仕事もこなしている。チャンスがあれば鈴鹿8耐にも出てみたいと語る。30歳を迎え、レーシングライダーとして円熟の域に入ってきた尾野。その走りのみならず、モータースポーツを支えていく活動にも注目したいところだ。