2022年は驚天動地の出来事が多々ありましたが、これも「よりにもよって」という人事でした。お騒がせのSさんが内閣改造で、ネット関係を取りしきる総務省の政務官に就任。案の定、早々から炎上に次ぐ炎上を繰り広げた挙句、年を越すこともできずに辞任してしまいました。

S前政務官の「腰の引けた」炎上
性犯罪被害者である女性ジャーナリストIさんに対する25件の侮辱コメントを選んでは「いいね」をつけて高裁で55万円の損害賠償。もとの性犯罪事件に疑問があるなら「いいね」だけで済まさずに、論拠をあげて「Iさんはウソつきであり、事件はでっちあげである」と主張すべきでしょう。「女性はいくらでもウソをつく」という過去の御発言とも首尾一貫します。
もっとも、史上初の女性による「女性はいくらでもウソをつく」発言は、タダの暴論ではなく性犯罪に関する大事な論点を含んでいます。刑事裁判などで、「性被害者側の証言をどこまで信用するか」という問題です。前にも書いたことですが、痴漢えん罪事件などで、「被害者の保護」が「疑わしきは被告人の利益に」という人権上の大原則と衝突することがよくあるからです。
もしSさんが腹をくくって、こういう微妙な議論に踏み込んでいたら、性被害者やその支援者たちからは徹底的に批判されたでしょうが、重要な問題提起になります。大議論なってそれなりの支持も集まります。けれども逆に、そこまでの覚悟がないのなら、政治的にヤヤコシイ話題に口を挟むべきではありませんでした。腰の引けた暴論が炎上を呼び、かえって政権の足をひっぱることになりました。
おまけにこの人、旧統一教会がらみでもやらかしています。
過去(2016年)にはツイッターで「信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない」と投稿していたことを国会で追及されて答弁を拒否しています。なぜ国会でも堂々と「当然のこと」と言わないのでしょう。また、旧統一教会と各議員との関係をあぶり出し絶縁を求めるような自民党本部に、抗議をしないのでしょうか。

自民党の(特に保守派の)思想と旧統一教会の思想は似通っているのですから、支援や協力をするのは自然なことです。自民党議員の中に1人ぐらい、「たとえ問題のある団体でも大義について一致できるのなら、今後とも支援協力をお願いするつもりです」と言える人が、なぜいないのでしょう。
両者の思想の共通性は憲法改正にまで及んでいるのですから、いわば革命の同志ではありませんか。本気で「現行憲法を一刻もはやく改正しないと日本は滅ぶ」と思っているのなら、「わずか数万人」の霊感商法による被害など、やむを得ない犠牲と考えるべきでしょう。実際、もし本気でここまで主張する自民党議員がいたら、かなり大きな支持が広がるのではないでしょうか。
逆に言えば、旧悪が露出した(というより、それまで怠慢だったメディアのスポットが当たった)とたんに、手のひらを返す自民党議員の憲法改正論など、説得力がまるでありません。「自主防衛、家族の価値の復活、美しい国日本」などと今さら叫んでみても、これらもまた選挙向けのただの「スローガン」にしか見えません。
「ソ連が攻めてきたら…」学生時代の出来事
えらく勇ましい発言と思いきりゆるい覚悟とのギャップには、個人的なデジャブ(既視)感があります。
遠い昔の40年前、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻を受けて、メディアが若者に「もしソ連が攻めてきたどうしますか?」という質問をぶつけるのがはやっていました。アンケートやらインタビューではいつも一番人気の回答が「逃げる」で、「戦う」若者が少なすぎる、と老人たちは嘆いていました。
けれども、学生だった私は別の違和感を感じていました。当時はまだ、全共闘文化が残っていて大学自治会などは左翼系の学生が多数をしめ、「人民のための学問」や「革命的な芸術」などという意味不明の言葉が日常的にも使われていました。さすがに暴力革命論は白い目でみられていましたが、斬新革命論(ぼちぼち共産化)とか、体制内革命論(選挙を通じて合法的に革命)などが公然と語られ、知識人なら文系理系問わず左が当たり前の時代でした。

そんな中、ある自治会系の集まりで「ソ連が攻めてきたら」の話になり、やはりほぼ全員が「逃げる」でした。えっ君たち社会主義革命したかったのじゃないの?どうして「歓迎する」と答えないの?はるばるモスクワから、本場の暴力革命をあなたの街にお届け、今なら送料無料ですよ!…と心の中はツッコミの嵐です。
何も、「革命を目指す者はソ連の侵攻に呼応して決起せよ」なんて物騒なことは言いません。「社会主義がお好きなら逃げるは必要はないでしょ」と言いたかっただけですが、誰からも反論されず無視されてしまいました。
右も左も覚悟なき過激さ
結局、左の連中も社会主義の世の中で生きる覚悟はないのだなと、しみじみ思いました。その後、彼らの大部分は「反動的な」企業に就職して、バブルで「ブルジョア的な」恩恵をたっぷり受けたあげく、今では「(国をぶち壊すという意味で)革命的な」年金生活に向かっています。
このとき以来、左っぽいことを言う人に強い不信感じて来ました。まあ向こうは向こうで、「ソ連が攻めてきたら、しばらく戦況を見て勝ちそうな方につく」と天真爛漫に語っていた私にだけは批判されたくないでしょうが。
戦後、社会主義国の増加や福祉への欲求などから共産党・社会党全盛の時代が続き、左でありさえすれば論理性を問わずに評価され、自らの思想や政策を点検したりすることもなく、いい気になっていた左翼。最後は劣化して落ちぶれていきました。「朝日脳」もその一例です。そうした歩みは、支持層を拡げ、元気だけは良かった最近までの自民党とそっくりではありませんか。
覚悟のない過激さなど、覚悟の一撃で簡単に足をすくわれてしまうものです。