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 2023年1月24日夜から翌25日にかけては、近年まれにみる寒波到来が予測されている。交通への影響も心配されるが、バスも例外ではない。現在では観測技術が向上し、かなりの精度で予測可能になったことから、事前に運休のアナウンスが出ることが多いが、昔は違った。そんな体験をお伝えする。乗車予定の方は備えあれば…だ。

文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)
(写真はすべてイメージです)

■昔は「行っとけダイヤ」しかなかった?

強烈な寒波が予想される(出典:気象庁)
強烈な寒波が予想される(出典:気象庁)

 まだ山陽自動車道が全通する以前の話だが、記者は現在でも運行している福岡・岡山線の夜行バス「ペガサス号」に乗車したことがある。西鉄・両備バス・下津井電鉄の3社運行体制だったが乗車したのは西鉄運行便の下り福岡行き。

 該当便は上りが大盛況だったようで2号車まで出た様子。2号車は西工のロイヤルハイデッカーで来たようだったが、下りは本務車両の1号車で間に合ったために2号車は後をついていくだけの回送だった。当時は現在のワンマンとは異なり道のりも時間も長く2名乗務だ。

 当時は岡山自動車道で中国自動車道まで北上し、そこから西進して九州を目指すのが正規のルートだった。よって現在よりも時間がかかる。トイレ付きの三菱ふそう・西工スーパーハイデッカーが本務車両で、天満屋バスセンター(当時)では定刻で出発し倉敷を経由し中国道に向けて走り始めた。

■雪が思いのほか深刻に…

 現在のようにポンポイントでしかも10分毎の天気予報などできなかった時代なので、出たとこ勝負で行くしかない。しかし岡山自動車道を上がったところで中国自動車道がどうなるかわからない状態でも乗客を乗せた以上は行くしかなかった。

 元から雪のために遅れる可能性やルート変更や迂回運転の可能性は運転士からアナウンスされていた。初めからわかっている通行止め区間をパスするために一般道を中国自動車道まで北上したものの案の定、積雪が深刻な状態になりインターチェンジを入れずに足止めを食らってしまった。

■運転士が協議を始める

 大半の乗客が寝ていたが、カーテンを開けて外の様子をうかがうと2号車の回送運転士とともに4名での協議が始まった様子。乗客のいない2号車の中で話せばいいのに、乗客が乗ったバスを離れるわけにはいかず料金所の前で雪振る外で話し込んでいる。

 西鉄の営業所や地元の地理に詳しい両備や下津井との連絡もしたのだろうが、ようやく協議がまとまり運転士がバスに戻った様子だった。考えられる選択肢としては開通するまで待つか、倉敷まで戻り山陽本線沿いを走るか、中国道に沿って入れるインターチェンジまで走るかだろうか。

■いよいよ走り出す!

 雪は深まるばかりなので待っていてはいつ動けるかわからない。戻れば山陽自動車道が部分開通している広島県や山口県まで国道2号が確定する。タイミングにもよるが途中で中国道が開通しても戻るのは困難だ。

 さてどうするのか。現在のようにスマホやGPSがある時代ではないのでしばらく観察していた。西鉄は中国道沿いの一般道が走れることを確認したようで、高速道路に沿って西に走り出した。いつの間にか寝ていて通行止め区間を抜けたようで、気が付くと中国道を走っていた。とうの昔に福岡についていなければならない時間なのは言うまでもない。

■非常食が配られる!

 当時の夜行高速バスには給湯設備が常識で、セルフサービスながらお茶、コーヒー、紅茶が自由に飲めた。すでにダイヤはぐちゃぐちゃなので、運転士・乗客の双方の疲労もあり、適時パーキングエリアに停車して休憩を挟む。

都心でも路線バスは何とか走り続ける
都心でも路線バスは何とか走り続ける

 そうしているうちに2号車の運転士も手伝いながらトランクから非常食が降ろされ、乗務員が乗客に配り始めた。内容は缶入りの乾パンだが賞味期限が長く数年間はトランクに入れっぱなしでも大丈夫な乾パンは非常食の王者だ。

 乗客はそれぞれのタイミングで乾パンをかじりながら、それでもPAやSAに停車しているので食べたいものや飲みたいものを購入して朝食兼昼食が始まる。

■新幹線振替の希望者はゼロ!

 あまりの遅れに西鉄がとった措置は希望者の新幹線振り替えだった。小郡ICでは現在の新山口駅が近く、希望者には山陽新幹線で小倉駅または博多駅に向かってもらえるように指示が出たようだった。

 乗務員が希望を聞いたところ全員がバスで構わないと振替希望者はゼロ。そのまま山陽自動車道・関門自動車道に向かって走り続けた。

 東名阪のようなビジネス需要全開の区間ではなく、特殊な例なのかもしれないが全員が北九州市や福岡市までバスで向かった。重ねて言うが、現在では通行止めの区間がかなりの精度で予想され、遅れ時分が尋常でない場合は運休にするのが一般的なので、このような例に合う可能性は低い。

 30年以上前の話を持ち出したのは、雪でなくても事故や他の自然災害で迂回や遅れが生ずることはあるので、実際はどうだったのかを体験を交えて紹介した。あくまでも当時の西鉄のこの便の対応だったにすぎず、それぞれの対応は事業者と時と場合によることはご承知いただきたい。

 高速バスは少々のことがあっても臨機応変に現場の運転士と営業所とが連携して乗客を守り安全に運送することを旨として走っていることを知っていただければ幸いである。寒波の中で乗車する皆さまは大変だろうが、何があってもあわてず騒がず最善の選択をお取りいただきたい。

投稿 昔の高速バスは大雪の日の運行が強引すぎだった!?自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。