もっと詳しく
近藤誠氏(2013年撮影、写真:東洋経済/アフロ)

8月に訃報のあった近藤誠氏。「がんもどき理論」「がん放置療法」などで医療界から多大な批判があった氏だが、様々な参考文献(著書や文化人との対談、他の医師との論争集)や、生前彼とつながりのあった人々からの伝聞による、「近藤誠」が持っていた、主に2つの側面から、現代医療の課題について考え、「近藤誠」を生み出さないためには、どんなことができるのかを考えてみたい。

医療において重要なことは、正確な情報を伝え、患者自身が選択肢を理解して選び、医療者自身が医学的に適切な医療行為をしつつも、患者の気持ちに寄り添い、支援していくことが必要だ。

提唱した「がんもどき理論」「がん放置療法」とは

現在では、「近藤誠」といえば、「がんもどき理論」という自説を提唱し、悪名高い「がん放置療法」を生み出した人として記憶されていることが多いのではないだろうか。

「がんもどき理論」とは、がんはそもそも、転移をする「本物のがん」と、転移もせず命に関わらない「がんもどき」に分けられ、「本物のがん」の場合、見つかったときにはすでに転移しているので、治療するのは意味がない。「がんもどき」は、転移もせず命にかかわることはないため、放置しても問題はなく、手術や抗がん剤などの治療は、かえって命を縮めるというのが、近藤氏の提唱した「理論」の概観だ。

近藤氏の主張は、がんを見つけても「慌てて治療をする必要はない」ということで、治療そのものを否定したわけではないともいわれ、本人が書籍でそのように述べている場合もあるが、「がん放置」は、少なからぬがん患者たちに影響を与え、実際に放置を選択した人もある程度いたようだ。

「近藤誠」とはどんな人だったのか

近藤誠氏は、1973年医学部を卒業後、アメリカ留学ののち、1980年に帰国、大学病院で放射線治療医として勤務を開始した。その頃、日本で行われていた乳がんの治療に疑問を持ったとされる。当時、アメリカではすでに、乳房温存術といわれる、乳房を切除しないで、がんの部分だけを切除し、その後放射線治療を行うやり方が主流になりつつあった。

乳房温存術では、乳房の整容性を大きく損なうことなく、治療ができることが特徴だ。生存率には違いがなかったにもかかわらず、当時、日本では、がんのある側の乳房とあわせて、大胸筋などの、胸の筋肉までとってくるという大がかりな手術が行われていた。

近藤氏のもっとも古い、一般メディアへの出演の一つが、1986年の朝日新聞日曜版、「乳房温存へ進む乳がん手術」で、単独インタビューではないが、乳房温存療法を行っている医師としてとりあげられている。1988年には、有名な、「乳がんは切らずに治る」という論考が「文藝春秋」に掲載され、反響をよんだ。

現代にも通じる“エビデンス重視” 

1988年の文藝春秋に掲載された「乳がんは切らずに治る」では、乳がんの術式の違いによる生存率に違いがないことを、外国で行われた臨床試験のデータを用いて論証している。こういった、統計学的なデータを基盤にして、治療を行うことは「科学的根拠に基づいた医療(エビデンス・ベースト・メディスン、EBM)」とよばれ、日本では1990年代後半から徐々に普及し、現在では、医学の根幹にもなっているが、当時はまだあまり知られていない考えだった。

また、当時の日本の外科医たちは、「外国人と日本人では治療の効果が異なるのではないか」「若手の鍛錬の機会がなくなる」などの理由から乳房温存療法をすぐには受け入れず、近藤氏は大学病院で出世の道を絶たれ、「窓際生活」を余儀なくされたという。

※画像はイメージです(sudok1 / iStock)

“患者の権利擁護”にもかかわっていた

 現代ではあまり知られておらず、また、忘れ去られている部分もある近藤氏の活動に、「患者の権利擁護」がある。

当時まだ一般的ではなかった「がん告知」を早い段階からはじめ、「インフォームド・コンセント」を実践していた。インフォームド・コンセントとは、「医師や看護師などの医療従事者からわかりやすく十分な説明を受け、理解し、内容について十分に納得した上で、その医療行為に同意する」という意味で、現代の医療者・患者関係の基盤になるものだが、当時は、こういった考えは国内ではまだ一般的ではなく、患者への十分な説明がなされることは少なかった。

また、乳房温存療法を受けた近藤氏の患者が中心になった患者団体「イデアフォー」(1989年設立、2018年活動停止)が設立され、乳房温存療法の普及を後押しした。

その後の“変節” と背景に何が?

初期は「エビデンスに重視の医療」「患者の権利擁護」に熱心だった近藤氏だが、その後“変節”したと見る人は多い。その後、2010年には「あなたの癌は、がんもどき」(梧桐書院)、2012年「がん放置療法のすすめ」(文藝春秋)を出版し、「医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」(アスコム)は130万部のベストセラーになった。この本になると、がんの標準治療の否定や、ワクチンの否定など、「医療否定」ともいえる主張が増えていた。

当時、「近藤誠の書籍がなぜ共感をよび、ベストセラーとなったのか」の問いに、患者や一般の人の「医療不信」をあげる人は多かった。現代では、当時の問題は、少しずつ解決されてはきたし、医師・患者関係も変わってきているが、医療者と一般の人の間のコミュニケーション・ギャップはなおも大きい。医療現場の多忙・過酷な労働環境も、コミュニケーションの問題に影響を与えている部分がある。

また、医療現場のみではなく、SNSでも、正しい医療情報は伝わりにくく、反ワクチンや陰謀論などの誤情報が多く拡散される現実がある。これを「問題だ」とする向きは多いが、「正しい情報」を持っていると自負する医療従事者が、「正しくない側」を攻撃するような構図もSNSではみられ、「正しい内容を主張する人」がうまく人々の心に寄り添えていない側面もあるのではないか。こういった部分が、「近藤誠的な主張」が共感され、増幅され、繰り返されていく一因であるのかもしれない。

筆者が運営を担当するメディカルジャーナリズム勉強会で、11月26日、「近藤誠」をよく知る人々(近藤誠がもと主治医だった乳がんサバイバー、近藤誠の初期原稿を担当した文藝春秋、元副編集長)などを招き、近藤誠の実像や、現代医療の課題を話し合う催しを開催する(詳しくは下記バナーをクリックください)。

(参考文献)

  • 増田英明「近藤誠研究」
  • 文藝春秋1988年6月号「乳がんは切らずに治る」
  • 朝日新聞1986年12月21日日曜版「乳房温存へ進む乳がん手術」
  • 朝日新聞 1990年5月19日朝刊「インフォームド・コンセント 病気 知る・知らせる」