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空襲警報が鳴っても、作業を続けよ――。太平洋戦争末期の1945年夏、本土決戦に備えた旧陸軍は、首都圏沿岸部に上陸する米軍を迎え撃つべく、戦車部隊を上陸地へ急行させるための道路整備を進めていた。「富士『リ』号演習」と名付けられた、いわば終戦間際の首都圏幹線道路整備計画。国民学校の児童ら…