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池長が牧野の標本を京都大学に寄付するという「池長問題」の続きである。大正9(1920)年5月に池長が除隊した後、翌大正10年7月に牧野は妻と一緒に池長と面会している。牧野の日記には、同年12月に神戸で「日本植物志趣意書」を作成したことが、11年2月に「大坂植物研究所」の目的書や設計の図面などを…