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ウクライナに侵攻したロシア、台湾への武力統一の野望を捨てない中国、弾道ミサイル開発の精度を上げる北朝鮮……世界でも極めて厳しい安全保障環境にある中、日本では、防衛費の増額、敵基地攻撃、核シェアリングの問題などに関する議論が高まっています。

しかし我が国の国防は憲法上の制約があるだけではなく、防衛費を増やすにも財政的な制約がつきまといます。こうした中で、私たちがどう国を守っていけば良いのか。元陸上幕僚長の富澤暉(ひかる)さんが語る「目から鱗」の防衛論をお届けします。(3回シリーズの第1回)。

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「最悪の事態を想定せよ」が招く陥穽

――この年末までに、安全保障関連の3文書が改定されます。「防衛大綱」は「国家防衛戦略」と名称も変わる方向で検討が進んでいるとか。

冨澤暉(とみざわひかる)
1938年、東京生まれ。防衛大学卒後、60年3月自衛隊入隊。戦車大隊長(北海道)、普通科連隊長(長野県)、師団長(東京都)、方面総監(北海道)、陸上幕僚長(東京都)を歴任。 退官後は東洋学園大学理事兼客員教授として、安全保障、危機管理等を担当。現在同大学理事兼名誉教授。日本防衛学会顧問。2018年まで財団法人偕行社理事長を務める。著書に『逆説の軍事論』(バジリコ)、『軍事のリアル』(新潮新書)など。

【冨澤】つい先日、歴代陸幕長会議が開催され、私も「3番目に古い陸幕長」として参加しました。ここでも、防衛大綱の改定について話題になりましたが、そうした場を含め、我々の仲間うちの議論で気になるのは、「危機管理」そのもののとらえ方です。

確かに危機管理とは「最悪の事態を想定し、それに備える」ことだというのはわかるのですが、今考えうる最悪の事態となると、「ロシア、中国、北朝鮮が一斉に日本に牙をむく複合事態」ということになってしまう。自衛隊のOBでも、あるいは政治家も「3正面に備えなければ」という人がいるのですが、これは正しい姿勢なのか。

私は最悪の危機を想定しておくべきだという「気持ち」は理解するものの、現実的な危機管理を考えるうえでは、「3正面という最悪の事態」への独力での武力対処はいくら考えても無理だと思うんですね。何より、この3国が一斉に日本に軍事攻撃を仕掛ける、という蓋然性がどの程度あるのかを考える必要があります。

「GDP比2%の防衛費」は外交的な数字

――「3国が一気に攻めてきたらどうするんだ!」と言っても、ほぼあり得ない事態だと。

【冨澤】もちろん軍事の分野では考えておくべきではありますが、その最悪の事態にならないように外交をやってもらわなければなりません。そして蓋然性が極めて低い事態を想定して現実の政治における防衛戦略を考え、予算を編成するのは無理がある。これでは予算がいくらあっても足りない。

例えば今回のウクライナ侵攻を受けて、NATOがロシアを脅威、敵と認定することは、軍事組織だから当然のことです。しかし日本国として、「ロシアは敵国である」と言えるのか。さらにそれを言うことで何か日本という国家に得があるのか、そこまで考える必要があります。

日本人は脅威対抗論が好きなので、「我が国の脅威は何か。ロシア、中国、北朝鮮だ」と指摘しがちなのですが、敵だ、脅威だと指摘すれば、当然、外交はやり難くなる。国益をトータルで考えた場合に、脅威だ、敵だと明言することがプラスになるのかは問われなければなりません。

そもそも、アメリカでさえ、以前は2.5正面に対処できると言っていたのが1.5正面になり、いまや1正面にしか対処できないと言い出している時に、日本が3正面に対処できるわけがない

これは防衛費の問題とも関連します。防衛費をGDPの2%に、という話がにわかに盛り上がっていて、昔から2%にすべきだと言ってきた私としては、大変結構な傾向だと思っています。ですが、この数字を初めて日本に提言したのは、42年前の1980年に中国を訪問した中曽根康弘国会議員と話した伍修権・中国副総参謀長であり、彼が外国語が得意な「外交・軍人」であることを考えると、この数値は元々極めて外交的なものであり、決して軍事的必要性から積み上げられたものではない、ということを忘れてはいけない。

そして数年前トランプ前大統領が、NATO加盟国に対して「軍事費をGDPの2%にしろ、相応の義務を果たせ」と言い出し、当時、GDP比1.2%の軍事費であったドイツのメルケル首相が「近く2%にする」と発言、今回のウクライナ問題に関連し、ショルツ首相が「22年度予算から2%を超えるものとする」と述べたのも「軍事的積み上げによるもの」ではなく、「外交的必要性に合わせたもの」と解釈すべきです。

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国民の誤解を招く議論は危険

――これを受けて浜田防衛大臣も「民主主義国が各国の経済力に応じて国防費を支出しており、(NATO基準は)指標として意味がある」と述べています。

【冨澤】ここで問題なのは、防衛予算の話と脅威対抗論と相まって「日本も防衛費をGDPの2%まで上げれば、ロシア、中国、北朝鮮という3国を一度に相手にしても戦える」と国民に誤認させることです。そういう誤解が広まってしまった場合、その責任を誰が取るのか。

――GDPの2%まで防衛費を上げたところで、3正面には対処できない。今の議論の立て方は、ほぼありえない事態を「危機が近い」と吹っ掛けて防衛費増額を納得させようということ、さらに実際そういう事態になったら、予算は全く足りないという点に問題があるんですね。

【冨澤】安全保障環境が厳しさを増しているからこそ、軽々に生易しいことを言ってはいけない。歴代陸幕長会議でも、そういう話をしました。

理想と現実を折り合わせた防衛議論を

――防衛や安全保障に関して、「これさえあれば大丈夫」という話はあり得ない、と。北朝鮮のミサイルを撃ち落とすPAC3なども、安全性が高まるだけで完璧ではないのは言うまでもありません。「だったらやめちまえ」という極論があるだけに、「これさえあれば大丈夫」と言いたくなる気持ちも分からなくはないのですが。

【冨澤】PAC3やイージス艦などによるミサイル防衛が進んでいますが、あくまでもそれは自分に向かってくるミサイルを撃ち落とせる範囲であって、その間を縫って飛ばしてきたり、何十発も一気に撃ち込む飽和攻撃をやられたら、防ぎきることはできない。「穴がないミサイル防衛」は存在しないんです。

一般的に、飛んでくるミサイルより、撃ち落とす迎撃ミサイルの速度は遅いので、敵ミサイル弾道が安定した段階で目標をセット(ロックオン)してもそこから着弾地までの距離が短ければ時間的に間に合わなくなってしまって撃ち落とせない。今は速度や軌道が発射後に変化するミサイルも開発されてきているから、年々、対応は難しくなっています。だから「予算をつけてミサイルディフェンスを充実させれば大丈夫です」というのは一面では事実であっても、漏れがあることも事実なので、そのリスクをどう国民に説明するかが重要です。

金丸信氏が防衛庁長官を務めた1970年代後半には、ハリネズミ防衛論というのがありました。危機を感じたら針を出すハリネズミのように、日本全体を要塞化して、接近する脅威を退けるという発想です。理屈としてはわかりますが、仮に日本の海岸線すべてに、侵入者の上陸を阻む火力・障害を配備しようとすれば、一体どれだけの装備が必要になるか。天文学的な予算が必要になりますから、当然、実現はしませんでした。

現在の議論もこれと同じです。理屈や理想と現実を折り合わせる議論こそ、必要ではないでしょうか。