クルマの広告に数々の有名コピーがあるように、バイクにも数多の名作&迷作コピーが存在する。これを厳選して国産4メーカー別にお届けしよう。今回はホンダ編。世界トップメーカーだけに名車と名コピーも多いが、中には迷コピーも!?
文/沼尾宏明
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「おお400。おまえは風だ。」CB400フォア
往年のホンダを代表するキャッチコピーであり、オジサマライダーには余りにも有名なのがコチラの「おお400。おまえは風だ」。
ヨンフォアの愛称で知られる名車、CB400フォアのカタログに大きく踊り、何とも格調が高い。ヨンフォアは、1974年12月に発売。端正なスタイルと管楽器のように美しい集合マフラーが評判を呼んだ。
しかし1975年秋、排気量を400cc以下に限る中型限定の二輪免許が導入。408ccだったヨンフォアに急遽398cc仕様を追加した。
ヨンフォアは、デザインこそ評価されたものの、2ストローク勢より高額で走りも及ばず、わずか3年で生産終了してしまう……。人気を得るのは後年のことである。
なお初期型のカタログを開くと「おまえは風だ。」となっていたが、暴走行為を煽るとの指摘があり、1976年型から「おまえが好きだ。」に変更された。
「ラッタッタ」ロードパル
キャッチコピーではなく、車名と勘違いしている人も多い――。それほど有名なのがロードパルの「ラッタッタ」というフレーズだ。
1976年に導入されたロードパルは、自転車風の車体に50ccエンジンを搭載した新ジャンルの乗り物だった。足でキックスターター風のゼンマイを巻いて始動する特殊なスターターを備えており、その様子を「ラッタッタ~」と表現したテレビCMが大きな話題となった。
ロードパルは女性をターゲットに開発されたモデル。自転車よりラクな上に、当時は原付一種(50cc)ならヘルメットの着用義務がないため、髪型が崩れずに乗れることをアピールした。しかも新車価格は5万9800円とお手頃。ラッタッタは流行語になり、ロードパルは年間30万台以上を売り上げる大ヒット作となったのだ。
「晴れ・のち・スカイ」スカイ
スズキ編では明石家さんまとハイの広告を紹介したが、後に結婚する大竹しのぶもバイクのCMに登場していた。
そのバイクこそ1982年に発売されたスカイ。国内最軽量となる乾燥重量39kgのスクーターで女性にアピールしていたこともあり、大竹しのぶが起用されたのだろう。
「A感覚とV感覚」なんて本が一部で昔流行ったけど、それを思い出してしまう(笑)。
さらにカタログを開いていくと、またバイクが登場せず、外国人モデルが見開きでドーン。ここでも大きく「G感、BROS.」と書いてある(このキャッチがどんだけ好きなんだ)。4~5ページ目でようやくバイクが登場するが、余白が多い(笑)。その後も余白多めの白背景で解説が続く。
カタログは全18ページもあるが、イメージカットに8ページを費やす。バブル期を象徴するファッション誌のようなカタログだ。
ブロスは、アメリカンであるNV系譲りの狭角60度Vツインを採用。太い低中速と適度なスポーツ性能を持ちつつ、気軽に乗れるバイクだったが、ヒットには至らなかった。
とはいえ、1989年のカワサキ ゼファーに先駆けて、レーサーレプリカ全盛期に「普通のバイク」を出した意気込みが素晴らしい。ただしG感は結局よくわからない(笑)。
「I am PROSPEC」NSR250R
2ストレーサーレプリカの真打ちと呼べるモデルこそ、1986年にデビューしたNSR250R。発売以降、人気、実力とも他を圧倒し、多くのライダーを惹き付けた。
中でも1988年型NSR250R(MC18)「ハチハチNSR」は伝説的な存在。公称45psながら、それ以上と思えるパワーで歴代NSR最強の呼び声も高い。
そんなハチハチに付けられたキャッチフレーズが「I am PROSPEC」。実は1987年型から採用されてきたが、ドーンと強調されたのはハチハチからだ。同じ時期のVFR400R(NC30)にも使われており、とにかくレースもイケる“プロ仕様”であることをストレートに訴えているのだろう。
なお、1989年型では「PROSPEC EVOLUTION」、1990年型のMC21は「PROSPEC 90’s」と変化していく。
筆者も乗った経験があるが、乾燥重量127kgに45psのハイパワーは、現在の250とは全く似ておらず、まさに公道レーサーそのもの。EV時代に復活はありえないが、過激でシビれる乗り物だった。
「夢は、つきない。ここから、始まる。」NR
1970年代末から、ホンダは世界GPにおいて楕円ピストンの研究開発を進めた。
これは、4ストロークで2ストローク車に対抗するための技術で、多気筒化と同様の出力を得られるのがメリットだ。楕円ピストンを採用したV型4気筒は1気筒あたり吸気4、排気4バルブで、通常のエンジンの2倍のバルブを装備。夢の技術だったが、開発困難を極め、耐久性にも問題があった。
レースでは、最高峰のWGP500に1979年から1982年まで4年間、楕円ピストンのNR500を送り込むも、結局ノーポイントで終わっている。
しかし、このプロジェクトは「楕円ピストンの市販化」が目的の一つだった。750cc版の耐久レーサーを経て、1992年5月に発売されたのがNRである。
ご存じの人も多いと思うが、価格は520万円。ホンダのフラッグシップとして位置付けられ、当時、最も高いバイクとして大きな話題になった。大部分のパーツが専用設計で、手造りのカーボン外装など贅沢な装備を満載。しかし発売直後にバブル崩壊が明確になり、限定300台ながら販売は芳しくなかった。
そんなNRのカタログに踊るコピーが「夢は、つきない。ここから、始まる。」だった。
投稿 ヨンフォアにラッタッタ、CBX400Fほか、俺たちをザワつかせたバイクの名(迷)コピー【ホンダ編】 は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。