12月といえば忠臣蔵だがテレビドラマが制作されなくなって久しい。しかし忠臣蔵は人気の演目で、クライマックスの舞台が東京なので、都営バスで史跡を訪ねてみた。史実と忠臣蔵は異なることも多いが、それは各自の研究で判断していただきたい。
文/写真:小野寺利右
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
バスで巡る忠臣蔵!
忠臣蔵はお芝居や歌舞伎の演目で正確には「仮名手本忠臣蔵」だ。当時は史実をそのまま演目にすると幕府に反する行為であるとみなされていたため、基本的に登場人物は仮名だった。元禄の世の人々は「仮名手本」=「いろは47文字」=「四十七士」という謎解きのような演目をちゃんと理解していたようだ。
忠臣蔵は史実としては赤穂事件と呼ぶのが一般的だが、とりあえず討ち入りの舞台が本所松坂町であることは間違いない。現在の両国三丁目付近にある吉良邸跡を訪れることにした。
最寄りの公共交通機関はJR総武線両国駅だが、歩くには少しあるのでバスに乗ることにした。屋敷跡に向かうのに便利なのは、墨田区内循環バスすみまるくんだ。墨田区が運営するコミニュティバスで、区内の地域により3つのルートがあり、京成バス奥戸営業所が受託運行している。
この付近は南部ルートで、これは京成押上線押上駅からJR錦糸町駅を経て、JR両国駅にやってくる。乗車したバスは1411号で、各ルート共通の予備車のようだ。普段このルートを走行しているのは紫色のバスなのでバスファンには若干レアか。
両国駅のバス停は運行会社別に分かれていて、駅西口を降りて南に向かい手前がすみまるの停留所で、その先は都営バスの両国駅前停留所がある。すみまるの停留所名は両国駅西口(回向院入口)になっている。
バスに乗車して二つ目の停留所が、目的の吉良邸跡入口だ。この停留所には副停留所名が付けられており、その名称は勝海舟生誕之地だ。
いざ討ち入り!
バスの中で、各停留所の案内と最寄りのスポットまでの所要時間をアナウンスしてくれる。地域の足になっているとともに、観光の足にも利用してほしい意図がうかがえる。この停留所から徒歩2分程で目的の吉良邸跡に着くということだ。
現在の吉良邸跡は本所松坂町公園になっている。昭和9年に地元の両国三丁目町会有志が、この付近の土地を購入し当時の東京府に寄付したことから始まる。
しかし当時の吉良邸から比べると敷地面積は86分の1まで縮小しているとのことだ。公園の中は吉良上野介義央公の公座像が鎮座していて、土地購入のきっかけとなった吉良公御首級(みしるし)洗い井戸と松坂稲荷がある。
大名等の国司の官職の名称は実際の領地とは異なり、吉良上野介(すけ)の介は上野の国の次官を指すが、上野の国を治めているわけではく、また長官である守(かみ)ではないのは、上野の国の長官である守は皇族が任命される(これもまた実際に治めているわけではない)と決まっていたからであり、次官だから偉くないということではなかった。
浅野内匠頭(かみ)は国司ではなく内匠寮という部署の長官だが、これも実際の仕事ではなく与えられた地位という意味合いが強い。浅野は大名で赤穂藩の藩主であり、吉良は高家旗本なので武士の家格としては浅野の方が上だ。
しかし官位は吉良が従四位上で、浅野が従五位下だったので、吉良の方がステータスは格上ということになる。
跡地の目印として吉良邸の表門と裏門の立て看板があり、屋敷は大きなものだったのがうかがえる。毎年12月14日は義士祭が行われ、12月の第二土曜日と日曜日には元禄市も行われ賑わいをみせる。
都営バスでもアクセス可能
近くを南北に走る清澄通りがあるが、吉良邸跡には都営バスでも若干距離はあるが、アクセスは可能だ。門33系統の緑一丁目で下車すれば最寄りだ。緑一丁目は京葉道路上にもあるが交差点より東側にあるので、どちらでも構わないが少し歩く。
注意が必要なのは、緑一丁目から西に向かう京葉道路上にも都営バスの停留所があり、こちらは両国駅から出てくる一方方面のみの停留所だ。
赤穂浪士が泉岳寺の前に行った回向院
両国駅の近くに回向院(えこういん)という寺院がある。浄土宗の寺院で明暦3年に建てられた。歴史の授業でも学ぶ明暦の大火があった年で、将軍家綱が犠牲者を手厚く葬るようにとの意向で、当地で大法要を行ったことが契機で、のちにお堂が建てられ現在に至る。
忠臣蔵ではカットされることもあるが、赤穂浪士は討ち入りの後に追手が来るのを待ち構えるために回向院に立ち寄っている。しかし開門されず、また上杉(吉良の実子)の追手も来なかったので、ここから泉岳寺に向けて出発する。
回向院では江戸時代後期に勧進相撲が行われていて、明治末期まで回向院相撲として親しまれていた。力塚という歴代の相撲年寄の慰霊碑もあり、相撲との関わりが深いことがわかる。
他の見どころは、将軍家綱の愛馬が死んだことにより、当院に葬った馬頭観音や、鼠小僧次郎吉の墓もあり、お墓を削って持ち帰るとご利益があるという。現在では本当に墓を削られては困るので、手前のお前立ちを削って持ち帰ることができるので、訪れる人は多い。
まだある興味深い地域
バス停名でも紹介した勝海舟生誕之地や、芥川龍之介の文学碑、相撲部屋や相撲にまつわるものなど、紹介しきれないスポットは多い。そのほとんどは江戸時代以降のものだが、歴史の舞台を肌で感じることができるのは興味深い。
忠臣蔵ファンなら吉良邸跡から泉岳寺まで行ってみるのも一興だろうが、残念ながら直接行けるバスの便はないので、都営浅草線を使うとおおむね赤穂浪士と同様のルートで便利だ。何かと忙しい師走だが、乗りバスのチョイ旅はいかがだろうか。
投稿 バスで忠臣蔵巡りができちゃう!! お手軽バスツアーのすすめ は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。