もっと詳しく

<p>【節目のひと】開業100年の銚子電鉄・竹本社長「鉄道守り地域に恩返し」</p><p>開業100年の銚子電鉄 高校生が経営難を救ってくれた 副業の「ぬれ煎餅」が人気となって経営状況は改善した。だが福島第1原発事故の影響で観光客が激減。再び経営に窮した。すると地元の銚子商業の生徒が手を差し伸べてくれた。クラウドファンディングを始めてくれたのだ</p><p>7月に開業100年を迎える銚子電気鉄道(銚子電鉄、千葉県銚子市)。JR総武本線の終点である銚子駅から終点の漁港、外川駅までの6・4キロを10駅で結んでいる。率…</p><p>7月に開業100年を迎える銚子電気鉄道(銚子電鉄、千葉県銚子市)。JR総武本線の終点である銚子駅から終点の漁港、外川駅までの6・4キロを10駅で結んでいる。率いるのは、従来の鉄道経営の発想にとらわれないユニークな施策を繰り出してきた竹本勝紀社長(60)。「次の100年に向かって鉄道を守り続けたい。地域に恩返ししていきたい」と力を込めた。 「電車屋なのに自転車操業」「電車は古くて〝シニア〟モーターカー」…。竹本社長はユーモアを交えて語るが、銚子電鉄が歩んできた道のりは決して、平坦ではなかった。 元社長の横領が発覚した翌年の平成17年、竹本社長は担当税理士として初めて銚子電鉄に赴いた。当時を「お金もないし、銀行も貸してくれない、ないないづくしの状況だった」と振り返る。 副業として製造・販売を行っていた「ぬれ煎餅」が20年ごろに人気となると、経営状況は改善してきた。だが、社長に就任した24年には、前年の東京電力福島第1原発事故の影響で観光客が激減し、売り上げは低迷していた。「会社の預金残高は50万円しかなかった」と振り返る。 その後、県から補助金を得たが、電車の脱線というまさかの事態が襲う。「元に戻るまで数千万円が必要だった。『廃線』が頭をよぎり、社員も意気消沈していた」。その大変なとき、「駅の掃除をしていた女性から『銚子電鉄がないと困る。今までありがとう。復活するまで掃除をして待ってるからね』と温かい言葉をもらった」という。そして「『ありがとう銚子電鉄』といわれるように社員一同頑張ります」と涙ながらに応え、再起を誓った。 すると、地元の銚子商業高の生徒が手を差し伸べた。インターネットで不特定多数から資金を募るクラウドファンディングを始めたのだ。「高校生の皆さんが一生懸命やってくれて、本当にありがたかった」。 約1年3カ月後、集まった資金などにより、脱線した車両の〝復活走行〟が実現。「若いお母さんが赤ちゃんを抱え、手を振ってくれた。その光景が今でも目に焼き付いている」としみじみと振り返る。 令和3年度の最終利益は21万円で、平成27年度以来、6年ぶりの黒字を達成した。 「社員と気持ちを共有したい。線路の状態も確認したいし、お客さんと対話もできる」との思いから、28年には運転士の免許を取得。29年には台湾北東部を走る国鉄「蘇澳(すおう)線」と姉妹提携するなど、国際交流にも努める。現在は、100年記念のイベントも企画中だという。 利用客に「最大限のおもてなしをして笑顔で送り出し、何回でも銚子に来ていただきたい」と呼びかけた。度重なるピンチも地元の支えを原動力に乗り越えてきた竹本社長。目標として掲げる「乗って楽しい日本一のエンタメ鉄道」を目指し、これからも走り続ける。(久原昂也) たけもと・かつのり 慶大卒後、税理士を務める。銚子電鉄の担当税理士、社外取締役を経て平成24年に社長。趣味は音楽鑑賞、読書。座右の銘は困難に直面したときにその人の真の強さがわかるという意味のことば「疾風に勁草(けいそう)を知る」。木更津市出身。</p>