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<p>【私は考える 安倍氏銃撃】人が死ぬ如く国も亡ぶ 富岡幸一郎氏</p><p>【私は考える 安倍氏銃撃】 人が死ぬ如く国も亡ぶ 富岡幸一郎氏 あの事件は政治的な背景のあるテロではない。新自由主義がもたらした極端な格差や相対的貧困などへの絶望が末期的に発露した暴力だ。過去には秋葉原通り魔事件や京アニ放火殺人事件などでも見られたものだ。</p><p>安倍晋三元首相の銃撃死については、「民主主義への挑戦」「全体主義社会の到来」などと評論されることが多いが、いずれにも大きなずれを感じている。</p><p>あの事件は政治的な背景のあるテロではない。もちろん世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題でもない。新自由主義がもたらした極端な格差や相対的貧困などへの絶望が末期的に発露した暴力だ。過去には、秋葉原通り魔事件や京都アニメーション放火殺人事件などでも見られたものだ。思想家のキルケゴールが『死に至る病』で挙げた「個」を肥大化させ、社会に責任転嫁させた形の絶望であり、そこに「公」に対する批判や改革志向は存在しない。 対照的なのは作家、三島由紀夫が東京・市ケ谷の陸上自衛隊施設で憲法改正、つまり戦後体制からの脱却という「公」に通じる明確な訴えを掲げて自刃した「三島事件」だろう。しかし事件は衝撃こそ与えたものの、三島のメッセージはタブーとされ、等閑視され続けた。その一方で、旧統一教会を巡る問題は、霊感商法や多額の献金などが耳目を集め続け、「救済法」が成立するまでに至った。 特集・連載:</p>