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Hプレート(クラシックカーナンバープレート)、クラシックカー認定。これらのクラシックカーは、2023年にクラシックカーとして認証され、Hナンバープレートを取得する予定だ。ドイツではHナンバープレートを取得すれば、自動車税などいろいろな面で恩恵を受けられる。1993年のヴィンテージモデルは、何百万人もの人々に愛され、象徴的な存在でありながら、完全に忘れ去られてしまっているモデルもある。

えっ、もうH(クラシックカーナンバー)プレートがもらえるの? この問いは、毎年、新しい世代のクルマが30歳になるときに聞かれる。むろん今年も例外ではない。初代「ルノー トゥインゴ」?「ポルシェ993」?もう定番中の定番だ。「マツダ ゼドス9」?マツダ・・・何だって?

今でこそ異なるが、30年前、これらのモデルシリーズは、メーカーにとってトレンドの発信源だった。その他にも、20台近くある。彼らは決して良い時代に生まれたわけではない。1990年、1991年の記録的な自動車ブームの後、わが国では販売が落ち込んだ。ドイツのメーカーや輸入業者が節約に励んでいた時期である。多くのモデルの長期的な品質の低さは、今日でも歌い継がれている。

ルノー トゥインゴは、まさにサクセスストーリー

しかし、上り詰めた1台は間違いなく「トゥインゴ」であった。3.43メートルの短いシティランナバウトで、ルノーは熱狂の波を引き起こしたのである。ルノーはワンボックスの「トゥインゴ」を開発し、「フランス革命」とも呼ばれた。

トゥインゴの生みの親であるパトリック ル ケマン氏は、オリジナルデザインのない小型車は犯罪であると言った。トゥインゴは間違いなく、そこから何マイルも離れている。

エンジンルーム、パッセンジャーコンパートメント、リアを一体化していた。その10年前に「エスパス」ですでに実現していたのだが、今回初めて小型車にそのアイデアを移したのだった。

鮮やかな色のシートカバー、ターコイズブルーのスイッチやボタン。しかし、インテリアのハイライトは、可変式シートとスライド式リアシートだ。

この小さなクルマで街中を疾走するのは、今でも楽しい。さらに、大人4人が乗れるし、冷蔵庫も後ろに積めるし、キャンプもできる。そして、55馬力の旧R5エンジンは、接近戦ではまったく問題ない。

ポルシェは993で一時的な解決策を見出した

初代「911」の誕生から30年、ポルシェは必要に迫られて新型車を世に送り出した。

993は空冷式の最後のポルシェで、オリジナルのアセンブリをベースにしていた。それからわずか3年後、このモデルは歴史に残ることになった。

「タイプ993」は、新しいクランクシャフト、軽いコンロッドとピストンによって、22馬力もパワーアップした。同時に、近代的なバルブラッシュの調整により、ようやくメンテナンスコストが下がったのである。

ポルシェ993のリアはこんな感じ。6気筒ボクサーエンジンは、ファンホイールとインテークマニホールドの下に収まっている。

リアエンドは「964ターボ」とほぼ同じ幅で、その下にはアルミ製の5リンク式リアアクスルを採用し、リアエンドが激しく踊るのを防いでいるのがミソ。「993」が、まったく新しい創造物である「996(初の水冷式911)」に向けての短期間の暫定的な解決策に過ぎないことは、設計者にとって明らかであった。

ゼドス9で高級車ユーザーを取り込みたかったマツダ

完全再現も「ゼドス9」。地球の裏側では、当時のマツダの世界を解き放つことに他ならない。世界的な販売の絶頂期に、日本人はついにメルセデスやBMWから顧客を奪おうとしたのだ。トヨタはレクサスを、日産はインフィニティを市場に投入した。マツダは?当時7万マルク(約500万円)の車を欧州に導入したのだった。

ゼドス9は上流階級を制覇するはずだった。ドイツでは成功しなかった。マツダにとっては、高次元への最後の挑戦であった。

「マツダ ゼドス9」は、ドイツではエキゾチックなモデルにとどまっていたが、アメリカではレクサスやインフィニティと同様に好評を博した。車載コンピュータ、シートヒーター、クルーズコントロールなどの充実した標準装備や仕上がりの良さを評価する声と、トランクの小ささやシャーシの適合の悪さを非難する声があった。

しかし、その運転感覚は現在でも十分通用するものだ。大きなレザーシートに身を任せると、全長4.83メートル(メルセデスW124: 4.74メートル)の船は、カーブを曲がりながらも、ゆったりと正確に操縦することができる。マツダは年間4千台の販売を見込んでいたが、2002年までに6千台(!)しか売れなかった。エキゾチックなクルマだから、H(クラシックカーナンバープレート)ビギナーには面白いだろう。

2023年にHナンバーを取得するヤングタイマーたち

ルノー トゥインゴ(初代): 小さな革新者、ここにあり。初代「ルノー トゥインゴ」は、多くの点で注目すべき小さなクルマだ。当時、ルノーは全長わずか3.43mのシティランナバウトで一大旋風を巻き起こした。そのギョロ目は世界中の人々の心を和ませ、そのデザインも当時としては画期的なものだった。
マツダ ゼドス9:メルセデスやBMWの角張った競合車に比べて、「ゼドス9」は流れるようなフォルムで際立っていた。マツダのV6エンジンは、「2.0i」、「2.5i」、「2.3iミラーサイクル」の3機種が用意された。ミラーサイクルの考え方は、意図的にシリンダーチャージを少なくすることで効率よく燃焼させるというものだ。これにより、「ゼドス9」はパワフルで経済的な製品になるはずだったが、実際にはそうではなかった。
ポルシェ 911(993): 17インチホイールに加え、80km/hで自動的に伸びるリアスポイラーを採用。「ポルシェ911(993)」は、ワイドなウィングの下に新しいシャーシを隠している。先代の「911」に比べ、「993」はシャーシやエンジンが改良され、防錆性能も向上している。とはいえ、神聖なものではない。ポルシェが「993」で「964」の多くの欠点を解消したとはいえ、ボディは錆びるし、エンジンからはオイルが漏れることもあるのだ。
シボレー カマロIV: 4代目「カマロ」がドイツで正式に販売されたのは1997年のことだが、その間に当時の夢のスポーツカーがたくさん渡ってきたことだろう。コルベットのトップエンジン: LT1の8気筒5.7リッター、279馬力を発揮する。
BMW 3シリーズ (E36) コンバーチブル: 市場投入から3年、BMWの人気ミッドサイズクラスの3代目にもオープントップ仕様が登場した。2ドアコンバーチブルは1999年まで製造され、最も強力なエンジンは193馬力の直列6気筒エンジンであった。凝縮されたパワーは、5速MT/ATによって路面に伝達された。
シトロエン エグザンティア: シトロエンの最後のセントラル油圧式モデルとして、伝説の「DS」の足跡をたどる「エグザンティア」。今やマニア垂涎の的となったミドルレンジサルーンは、まだまだ注目されないことが多い。
ダイハツ シャレード: 日本の小型コンパクトカーの4代目は、先代と同じくらい目立たない存在だ。最初はハッチバック、後に4ドアのセダンが登場した。「シャレード」のトップバージョンには1.6リッター16バルブエンジンが搭載され、105馬力のパワーで996kgの車体を軽々と走らせる。
フィアット プント: 「ウーノ」が「プント」に。成功したモデルを置き換えた「タイプ176」。フィアットは「ウーノ」と「プント」で、苦難の時代を乗り越え、累計880万台を販売し、成功への道を取り戻したのである。
フェラーリ456GT: エレガントでスポーティな2+2シーターにV12エンジンを搭載し、442馬力のパワーを発揮。4年間の禁欲期間を経て、フェラーリは「456GT」で12気筒フロントエンジンのグランツーリスモに回帰したのである。その後、1998年に「456M」の改良型が登場した。ちなみに「M」は「modificato」、つまり改訂版という意味以外の何ものでもない。
フォード モンデオ(初代): フォードは「モンデオ」で、10年前の「シエラ」に取って代わったのである。また、ワールドカーとして、ヨーロッパ以外の市場の攻略も目指した。フォードは5代目を2022年に生産終了しており、後継モデルは現在、中国のみで販売されている。
フォード プローブ: この名前のスポーツクーペは1988年に初代が登場し、1992年に生産中止となったが、後継モデルは4気筒と6気筒が用意されていた。V6は2.5リッターの排気量から163馬力を発生し、最高速度は220km/hだった。
ランチア デルタⅡ: ランチアは長年にわたり、世界ラリー選手権で「デルタ」を使用し、優れた勝利を収めてきた。1993年に「フィアット ティーポ」のプラットフォームで登場した後継モデルは、かつてのランチアのイメージを踏襲し、より高貴なものになるはずだったが、どこか青臭さを残したままであった。
マクラーレンF1: 「F1」が欲しければ、バイヤーは150万マルク(約1億1千万円)をカウンターに置くことが求められていた。当時、これほど高価な市販車は他になかった。しかし、ロードゴーイングモデルは80台にも満たず、シリーズ生産モデルというには大げさである。
メルセデスCクラス(W202): 190(W型201)型は、1980年代にBMWから「3シリーズ」のバイヤーを奪おうとしたメルセデスが、新しいデザイン言語を導入したモデルである「ベビーベンツ」はミリオンセラーとなった。そして、1993年、初代「Cクラス(W202)」が登場した。品質面では「190」に及ばなかった。そしてもうあまり街中で見かけなくなった。
三菱ギャラン(Mk7): 日本のミドルサイズである「三菱ギャラン」の7代目は、非常に高い品質とされている。トップバージョンには170馬力のV6が搭載され、アルミホイール、オートエアコン、サンルーフ、トラクションコントロールなどの高品質な装備が用意されていた。しかし、このモデルは3年間しか製造されなかった。
オペル アストラ コンバーチブル: オペルが「アストラF」のコンバーチブルモデルを1993年8月に発表したときは、夏も終わろうとしていた。全モデル世代と同様、当初は防錆力の低さに悩まされたが、1994年以降改善された。
オペル コルサB: コルサは1,400万台以上生産され、オペルの中で最も成功した車の一つである。この成功に大きな役割を果たしたのが「B」である。評判の悪かった90年代のバイオデザインの成功例と言われている。
プジョー306: タルボの設計した309を採用した後のモダンな306は、「ライバル」と自認するVWゴルフへのアタックを公言したものである。2002年まで見事に売れたが、主にフランスで売れた。
サーブ900 Ⅱ: サーブ99で導入されたターボ技術は、「900」で大成功を収め、ターボなしの「900」は20年以上も市場に残り続けた。「オペル ベクトラ」のプラットフォームで後継車が登場したのは、1993年になってからである。今日、GMの技術やデザインは、多くの人から鼻で笑われるようになっている。
トヨタ スープラ(JZA80): 「マグナム」のフェラーリ、「007」のアストンマーティンDB5、「バック トゥ ザ フューチャー」のデロリアンなど、映画を通じてカルト的な地位を獲得した車はそう多くはない。トヨタのスープラ?そうなのだ。映画「ワイルド スピード」では、スープラが主役だ。ヤマハが開発したシリンダーヘッドとターボ技術との組み合わせで、トヨタはわずかな努力で800馬力以上にチューンアップできるトップクラスのエンジンを作り上げた。とはいえ、スープラはすでに量産で十分すぎるほどのパワーを発揮していた。自然吸気モデルは220~225馬力、ターボモデルは330馬力を発揮した。スープラには、贅沢な標準装備と鳥肌が立つようなサウンドが搭載された。販売台数の減少に伴い、2002年に生産を終了した。
VWゴルフ3カブリオレ: 1970年代末に「いちごバスケット」は新鮮な空気のある地域を制覇し、改装を経て1993年まで滞在することを許された。VWがその後継車を発表したのは、「ゴルフ3」になってからである。カルトカーの魅力は消え去っていた。
VWゴルフ3ヴァリアント: コンパクトなベストセラーに、初めてエステートモデルを設定したことも斬新だった。「ゴルフ3」は、1991年に30cm以上のロングバージョンを導入して以来、より多くの荷物を持ち運ぶことができるようになり、購入者を喜ばせてきた(あるいは喜ばせ続けてきた)。それ以来、「ゴルフ ヴァリアント」は「パサート」の安価な競合車種となっている。
ボルボ850エステート: もうひとつの1993年の登場。ボルボは大型ミッドサイズサルーン「850」にさらに大型のエステートを導入した。全長4.71メートル、5気筒のT5-Rターボを搭載していた。226馬力を発生し、トラクターをスペースグライダーに変身させる。

Text: Marcel Nobis
Photo: autobild.de