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住友銀行(現三井住友銀行)取締役、楽天副社長を歴任した國重惇史さんが4日午後、都内で亡くなった。77歳。近年、国指定の難病「進行性核上性麻痺」と診断され、療養中だった。

2016年には『住友銀行秘史』を刊行し、住銀時代に担当したイトマン事件の内幕を赤裸々に綴ったことが話題になり、10万部を超えるベストセラーに。楽天時代も「ナンバー2」として、三木谷浩史会長兼社長の金融事業を支えた。そんな有名な元バンカーだけに訃報は多くのメディアが軒並み報じるはずだが、今回、古巣の楽天も、そしてどのメディアも訃報を“察知”していたのに、2日経ってもデイリー新潮以外に報道できない異例の事態に陥った。

訃報の端緒はFacebookから(※一部加工しています)

17年前、自宅への直撃取材で…

先に筆者と國重さんの交流について述べておこう。といってもベテランの経済ジャーナリストの親交ぶりとは比較もしようがない薄いものだ。ただしその「傑物」(楽天関係者)ぶりを垣間見ただけで、取材対象者として鮮烈な記憶がある。

初めて会ったのは2006年6月。読売新聞社会部に配属後まもなく村上ファンド事件が起き、その取材班の末端になった。筆者は村上世彰氏と接点のあった経営者、投資家らに話を聞き回る役目を担当したのだが、その1人が國重さんだった。最近は某新聞社が在職中の取材で見聞きしたことへの「口止め」が話題になっているが、もう17年前のことであり、筆者が読売退社後も交流が続いたので古巣には少しお許し願いたい。

当時は楽天グループの本社が六本木ヒルズにあり、國重さんは千駄ヶ谷の住宅街に三階建ての一軒家の自宅を構えていた。たしか週末の夕方、ご家族と帰宅されたところを直撃。全く面識もない若手の社会部記者の突然の来訪だったから、普通に断られるかと思いきや、國重さんは嫌な顔ひとつせず、いきなり自宅1階のリビングに通してくれた。

昔のことなので取材の詳細なやりとりは忘れたが、白亜の大理石で設えた高級家具のテーブルの向こうで、「なんでも聞いてくださいよ」とばかりにどんと構えて座っていた姿は脳裏に焼き付いている。村上ファンド事件は新興企業も関連していたが、ベンチャー系の経営者への直撃取材で初めて家にあげてくれたのが國重さんだった。しかも後日、先輩記者(のちの社会部長)と共に当時はまだ六本木ヒルズの楽天証券の社長室(國重さんが社長)に取材に行くことも快諾してくれた。

さすがは住友銀行出身。“記者慣れ”しているあたり普通のベンチャー経営者と違う」と思ったが、恥ずかしながら当時の筆者は國重さんのイトマン事件の舞台裏での際どい立ち回りの過去のことなど知らなかった。いま思えば海千山千の國重さんからすれば若干30歳の小僧記者の取材を上手にあしらうなど赤子の手をひねるようなものだろう。

その10年後に出た『住友銀行秘史』ではイトマン事件当時の社会部エース記者だった山口寿一記者(現・読売新聞グループ社長)とも丁々発止やっていた事実が述懐されており、それを読んだだけでも國重さんとの格の違いを見せつけられた思いだった。

「再会」から今生の別れまで

村上ファンド事件から4年後、筆者は読売を退社。PR会社を挟んでフリーの広報コンサルタントになった。この間、楽天社員とあるプロジェクトに関わったのを機にFacebookで國重さんと「再会」し、「ここで交流しましょうね」とフレンドに。その後、プライベートなことで週刊誌を騒がしたことで楽天を退社した時は心配したが、ある事業のメディア露出のことで相談に乗ったこともあった(結局案件としては正式には動かなかったが)。

最後にお会いしたのは2017年ごろだったと思う。ミッドタウンの地下で見覚えのある顔が目に入った。エスカレーターを上がって行ったのを追いかけて声をかけるとやはり國重さんだった。しかし目がどこかうつろで、呂律も回っていない。「病気になっちゃってね」。穏やかな表情の中にも眼光鋭くこちらの腹を探ってくるスーパーバンカーの面影はもうなかった。今だからこそ言うが、それが今生の別れになるような予感もした。

10万部を超えるベストセラーとなった國重さんの著書『住友銀行秘史』(2016年10月、筆者撮影)

その後、前述の難病にかかり、介護施設に入所。たまに知人女性がFacebookに近況を代理投稿し、元同僚らと旧交をあたためる様子は目にした。

『住友銀行秘史』を読んで“勉強し直した”こともあり、一度くらい挨拶に行かねばとも思ったが、コロナ禍での面会制限でそれも敵わなくなった。時折暴露系の投稿があって物議を醸したりもしつつ、スキャンダルで家族をなくし、そして著書の暴露などでかつての仕事仲間との縁もほとんど断ち切られていく中、知人女性が代理で綴る、あっけらかんとした投稿に微笑ましく思わされることも。しかし明らかに昨年後半からは写真で見ても衰弱が明らかで心配はしていたが、今月4日、帰らぬ人になった。

もどかしかった「衆人環視の孤独死」

来週にも都内で通夜を行うが、喪主はいない。フェイスブックで亡くなったことが報告され、翌日には死亡診断者までアップされても訃報がニュースにならない。Wikipediaでもまだ“生存中”。しかしコメント欄には元国会議員や経営者など著名な人たちも続々とお悔やみの言葉を投稿していく。それでも訃報記事は流れない。親族がおらず、知人女性に接触して「裏取り」できない限り、どこも報じられないのだ。楽天本社にも記者たちの問い合わせが相次いだが、同社も確認が取れない状態だったようだ。

生前の國重さんの活躍を考えれば、毀誉褒貶あったとはいえ、心からお悔やみを言いに行きたい人もいるだろう。楽天や三井住友銀行が正式発表できないのであれば、メディアが訃報を報じる必要がますます出てくる。しかしそれをするには裏とりが不可欠。なのに女性に記者たちがなかなかたどり着けない。せめて施設の場所さえわかればいいのだが…。

SNS時代ならではの、いわば「衆人環視の孤独死」のような状態に陥ったようだった。気の毒でならず、もどかしい思いもあった。こうなると、『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』の著者、児玉博さんか、『ヒルズ黙示録』を書いた朝日新聞の大鹿靖明さんなど故人と親しかった大ベテランジャーナリストがたどり着くしかないのかとも感じていた。

キャリアも媒体力も大きく劣る私は女性と面識もないので、國重さんのアカウントにダメ元でDMした。7日夕、やっと繋がったと思った矢先、デイリー新潮が訃報を唯一真っ先に報じた。ただSAKISIRUが初報を出すよりは、伝統と発信力のある新潮に報じてもらった方が関係者への周知としては良かったかもしれない。

SNS時代はフェイクニュースのリスクもあるから報道には確かなファクトが不可欠だ。ただ、明らかに亡くなっている様子がわかっているのに、たまたま確認が取りにくい状況に陥穽のようにハマってしまう難しさも浮き彫りにした。それもまた國重さんらしい、つかみどころのなさを象徴しているのか…。

國重さん、ほんのわずかなお付き合いでしたが、いろいろなことを教わりました。どうぞ安らかにお眠りください。