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<1955(昭和30年)> 福岡・筑豊地域にあった炭鉱住宅(炭住)の正月。子どもたちは恥ずかしそうだが、羽子板を手に笑顔でカメラの前に立った。当時、筑豊では、国のエネルギー政策の転換によって多くの中小炭鉱が次々閉山した。この炭鉱も閉山し、職を失った労働者たちは先の見えない日々を送ってい…