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長安の興慶宮にもどった玄宗は、重臣たちを集めて評定を開き、 「今後は朕が陣頭に立って反乱の鎮圧に当たる。こうした事態を招いたのは、安禄山を過信した朕の誤りだ」 率直に非を認め、全員私心を捨てて難局に当たるように申し付けた。その上で仲麻呂と王維を直属させ、各方面との連絡役を命じた。 …