過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティ『しくじり先生 俺みたいになるな!!』。
1月27日(金)の放送では、お笑いコンビ・ティモンディ(高岸宏行、前田裕太)が登壇。
現在、お笑い芸人とプロ野球選手の“二刀流”で活躍する高岸が学生時代、プロ野球選手になるために自分を追い込みすぎて、大好きだった野球を辞めざるを得なくなってしまったしくじりを告白した。
中学時代、地元の軟式野球チームに所属し、3年生で身長184センチ、すでに最高135キロの球速を出していた高岸。
「甲子園で活躍して、プロ野球選手に俺はなる!」という夢を抱いて、愛媛県の強豪・済美高校に進学した。
同じく済美高校野球部の同級生だった相方の前田によると、当時の済美高校野球部は全国で1、2を争うほど練習が厳しいとされていたとのこと。
しかし過酷な練習を乗り越えた結果、高校2年の春には球速が143キロまでアップ。高岸は「成果が出たことで、もっと自分を追い込んでいこうという考えになった」と当時の心境を語った。
高校卒業を控えた高岸は、プロ野球のスカウトから“育成契約なら指名する”との言葉をもらい、信頼する野球部の監督に相談。
下位指名でプロに行くより、(高岸のことを)ほしがってくれている大学に行ってドラフト1位を目指さないかというアドバイスをもらったこと、そして家庭があまり裕福ではないという事情もあったことから、高額な契約金がもらえる可能性があるドラフト上位指名を目指し、大学野球の名門・東洋大学への進学を決めた。
◆“やればできる!”精神で極限まで自分を追い込んだ過去
「絶対150キロを出してドラフト上位でプロ入りしてやる!」と目標を掲げ、いざ東洋大学野球部の練習に参加した高岸。
しかし待ち受けていたのは、大学野球の厳しい現実。なんと部内にはすでに150キロ超えの先輩投手が5人もいたのだ。
“もっと自分を追い込まなければ!”という思いに駆られた高岸は、自らの限界を超えるため、部の練習後に“毎日200球の投げ込み”という独自のトレーニングに励むようになったという。
その高岸の行動は、「プロでも100球投げたら複数日は休む」と前田がいうほど無謀なものだったが、高岸はほかにも“ライトからレフト間のダッシュを50往復”、“スクワット中心のウェイトトレーニング”など、過度な自主トレを実行。
体は悲鳴を上げるも、「肘は痛くなればなるほど鍛えられている証拠だ!」としくじった考えにとらわれ、トレーニングを強行していたと振り返った。
◆“頑張り屋さん”に贈るメッセージ
そんななか、春のオープン戦でマウンドに立つチャンスが到来。
ところがその結果は、「先頭打者にいきなりフォアボールを出して、次のバッターに長打を浴びて即降板」だった。
その失態から“もっと練習しなければ”とますます自分を追い込んでいった高岸は、大学1年の7月頃には、目標である球速150キロを投げるどころか、“軽いキャッチボールなのに暴投連発”という状態に。
なんと突然、自分の身体が思いどおりに動かなくなってしまう心理的症状“イップス”を発症してしまったのだ。
当時のことを高岸は「(イップスは)いきなり来ました。肩から先の感覚がなくなって…」と激白。
このイップス発症をきっかけに悪循環に陥り、心も体もボロボロになっていった高岸は、ついに人生を懸けてきた野球から離れることを決意する。
ひたむきに夢を追いかけ、頑張りすぎてしまった高岸だからこそたどり着いた人生の教訓に、出演者たちは大いにうなずいていた。
◆高橋みなみ、「自分も似ている」と吐露
出演者のなかでも、“努力は必ず報われる”を座右の銘に掲げる高橋みなみは「なんか似ている気がして、怖いなと思って…」と、極限まで自分を追い込んでいた高岸の心情を深く理解。
「追い込んでいる自分のことを好きになって来ちゃうんですよね。漫画の主人公になってる感じで…」と、AKB時代は高岸と同じような感覚になっていたことを吐露した。
一方、JO1・佐藤景瑚は「夢をあきらめた経験は?」と聞かれて、美容師時代の大失敗を告白。
「営業後にシャンプーの練習をしていたんですけど、水を出しっぱにしていて…。次の日から2日間お休みで、出勤したら(店内が)大洪水になっていたんです」と仰天しくじりを明かし、教室を騒然とさせていた。