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石原信雄官房副長官の番記者になったのは1994年3月の細川内閣だった。竹下内閣から村山内閣まで7内閣、7年3カ月の在任期間から考えると番記者としては末期の部類になる。通称「石原朝回り」が最大の仕事だった。 「六三〇(ロクサンマル)」「八〇〇(ハチマルマル)」。前日の夕方になると番記者の間…