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MGU-Hが消える2026年のF1 PUは1000馬力維持を目指す。過去の1000馬力モンスターF1時代は馬力無制限だった

 2026年からF1 PUからMGU-Hが消え、人工的なバイオ・サステナブル燃料が義務化される。これにより1600ccターボエンジンの出力は低下し、その分をMGU-Kとバッテリーで電気パフォーマンスを上げて現状の1000馬力PUと同等になるよう試みている。過去エンジンのレギュレーションは何度も変わってきた。そしてアドバンテージを取ったものが勝利を得ているのだ。さてこの新たなPU戦争はどういうものになるのか、過去を振り返りつつ、元F1メカニックの津川哲夫氏が解説する。

文/津川哲夫
写真/津川哲夫,Redbull

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■PUから抜きんでた性能を得るのは難しい

 現在のPUはMGU-HとMGU-Kでエナジーを回生して蓄積する。1600ccターボエンジンのパワーに加算すると合計で1000馬力前後になるのだ。

 そして、2026年からはサスティナブルな1000馬力を実現しようというわけだ。単純にF1のパフォーマンスだけを考えれば、規則で規定されているバッテリーの容量と蓄積回生エネルギーのデプロイといわれる電気的出力を増加させれば、基本的には最大出力はいくらでも(“いくらでも”は言い過ぎだが)増加できるわけだ。もちろん規則で制限を加えるから、全コンペティターの出力が平均化でき、より性能の接近したレースが行われる、というわけだ。

 つまりモーターとバッテリーを規則できっちりと制限する限り、PUから抜きんでた性能を得るのは極めて難しくなっているのだ。

 しかしこれではF1がワンメークスに近い状態に陥り、本来のF1の「最低限の規則内での自由競争」という鉄則からは遠くなってしまう。

 事実厳しい規則に縛られている現在のF1は、エアロを含めて、抜きんでた技術を具現化させることが極めて難しく、新技術の多くが規則で厳しく管理されているのだ。これは決してネガティブなことではなく、僅かしかない開発エリアをいかに上手く開発してゆくかがエンジニアリングの腕の見せどころになっていて、その幅が狭いがゆえに拮抗したレースが展開されるようになったのだ。

 しかし新技術やアイデアの表現場所は極めて少なく、エンジニアリングのおおらかな進歩には程遠くなってしまい、F1というカテゴリー自体のアイデンティティーが希薄になってきてしまったことは隠しようがない。

■80年代の1500ccターボエンジンは実に1000馬力を超え、馬力無制限だった

ホンダFW11は予選仕様で1000馬力を超える出力を絞り出した
ホンダFW11は予選仕様で1000馬力を超える出力を絞り出した

 過去のF1全盛期にはあらゆる新技術が闊歩し、その新技術のアイデアをものにした者達が大きなアドバンテージを得ていた。それらはF1に技術革命を起こし、F1に大きな革新を生み出してきた。

 現在のF1は1600ccターボ・ハイブリッドでの1000馬力ではあるが、50年代の過給時代を別にすれば70年台終盤に始まったターボ時代はF1のパワーソースを極端に進歩させてきた。特に80年台のターボエンジンによるパワーウォーズと言われた時代は凄まじかった。

 それまではレシプロ3000ccが主流でコスワースDFVがパワートレインとして闊歩していた。その出力は550馬力前後と語られていたのだが、当時の1500ccターボエンジンは実に1200馬力を超える出力を生み出していたのだ。

 もちろんこんな最大パワーは常時ではなく予選時や追い越し時など勝負どころで使うスーパーパワーであった。パワーウォーズ真っ只中では予選用エンジンの使用が当たり前で、ブーストプレッシャーをコントロールするウェイストゲート(ちなみに現在のPUでも存在している)があり、その開閉の圧力を制御するブーストコントロールバルブがあった時代だ。

 このブーストバルブを閉める事で、ブーストを上げ、ハイパワーを生み出していたのだ。

■ベネトンB186のBMW1.5ターボエンジンは、予選では1450馬力を超えた

 当時、筆者の在籍していたベネトンでは86年にB186というマシンを走らせていた。当時のドライバーはゲーハート・バーガー(日本的にはゲルハルト・ベルガーと言うが)、そしてテオ・ファビがドライブしていた。

 エンジンはBMW直4ターボエンジン、巨大なシングルターボチャージャーを搭載していた。通常走行では850〜950馬力程度が使われていたが、いざ予選になるとターボのウェイストゲートは外され、ブーストプレッシャーはエンジンが回転している限り無限に上がり続けるシステムを使用していた。

 制限なしのブースとプレッシャーは実に6.5バールをはるかに超えてしまうのだ。こうなるとセンサーはブースト圧をキャッチできなくなり、データーギャザリングは全て停止、エンジンは突然失火を起こしてしまう。この圧力には点火プラグも働かなくなり、エンジンは予選走行中にいわばパワーリミッターのごとく息つきを起こしてしまうのだ。この息つき前で仮想計算では1450馬力を超える。

 1500ccの4気筒エンジンが、この出力だ。もちろんアタックラップの1周だけが勝負で、計測ラインを越えるときには、もはや息つきを超えてエンジンがねを上げてしまう。そしてクーリングラップに入った途端にエンジンやターボがブローしてしまうのだ。まさに1ラップエンジン、予選スペシャルであった。そしてパワーウォーズ終盤では常時1200馬力が普通に使われるまでに進歩したのだから、まさに狂気のパワーウォーズであった。

■新たなレギュレーションでアドバンテージを取ったホンダ

厳しい規則を打ち出してきたFIAにホンダは低燃費ハイパフォーマンス技術で他のエンジンメーカーを圧倒した。マクラーレンホンダMP4/4は1988年15勝
厳しい規則を打ち出してきたFIAにホンダは低燃費ハイパフォーマンス技術で他のエンジンメーカーを圧倒した。マクラーレンホンダMP4/4は1988年15勝

 パワーウォーズの行き過ぎが懸念され、新たな規則はこの戦争を終息させようと動き出した。燃料制限、使用燃料量の制限、ブーストプレッシャーの上限規定、それも2度にわたって低下していった。

 結果、パワーウォーズはエンジンの制御技術へと変わっていったのだ。真っ先にその制御技術でアドバンテージを取ったのが、そう、第二期ホンダであったことは言うまでもない。極端に燃費コントロールの効率化が進められ、エンジン技術も燃費とパワーを両立させる見事な制御を繰り出してきた。厳しい規則を打ち出してきたFIAに、他のメーカーが反対するなかホンダだけはこれに反対しなかった。制御への自信を、規則変更後のおおきなアドバンテージにしてしまったのだ。15戦14勝の記録はこのアドバンテージが生んだ結果であった。

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津川哲夫
 1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
 1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
 F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
・ブログ「哲じいの車輪くらぶ」はこちら
・YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」はこちら

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