SROモータースポーツ・グループは1月5日、1990年代のスポーツカーレースで活躍したフランス人レーシングドライバーのミシェル・フェルテが亡くなったと発表した。1991年のル・マン24時間でジャガーXJR-12を駆り2位となったほか、その後のGT1活動で活躍。SROの初期にファウンダーのステファン・ラテルとともにシリーズに携わった。
フェルテは1958年生まれ。兄のアラン・フェルテとともにレーシングドライバーとして活躍した。1983年にフランスF3のチャンピオンを獲得すると、翌年ヨーロピアンF2で3位に。1980年代からル・マン24時間にも挑戦した。ル・マンでの最高位はマツダ787Bが優勝を飾った1991年で、デイビー・ジョーンズ/ラウル・ボエゼルとともにジャガーXJR-12を駆り2位となった。
その後、グループC崩壊後にヨーロッパで始まったBPR GTに参戦。1994年はベンチュリで2勝、1995年にはフェラーリF40で2勝を飾り、ラテルとともにRFRスポーツを設立。日本のパイロットのスポンサードを得て、パイロット・レーシングとしてフェラーリF40 LMを走らせ1996年のル・マンを戦った。
またフェルテは、1996年に開催されたランボルギーニ・ディアブロトロフィーにも参戦。ジャン-ピエール・ジャリエやジェラール・ラルース、オリビエ・グルイヤールらとともにグリッドに並んだ。このレースは、今日行われているランボルギーニ・スーパートロフェオのルーツにもなった。
SROはフェルテの逝去に際し「彼の家族や友人に対し、この困難な時期へのお悔やみを申し上げたい」とした。