サッカーW杯カタール大会で23日、日本がグループリーグ初戦で強豪ドイツに2-1で逆転勝ちした。日本は今回で7度目の本大会出場となるが、優勝経験国に勝利したのは初めての大金星。
しかも、「日本サッカーの父」デットマール・クラマー氏の存在に象徴されるように、戦後日本のサッカー界が「師」と仰いできた大国を攻略したとあって日本サッカー史に新たな1ページを刻んだことは間違いない。
競技そのものの分析は凡百のスポーツ報道が伝える通りだが、今回の大金星は日本人に勇気をもたらすだけでない。社会的にも大きな学びを与えるインパクトが十分にあり、サッカーの専門家ではない有識者からもさまざまな意見が出始めている。
その1人、作家の猪瀬直樹氏(参院議員)は人材育成に注目。ツイッターで「サッカー・ドイツ戦に勝ってよかったけれど、26人のうち19人が海外チームで活躍している選手ということで、グローバルな世界での戦いを心得ていた事実を、今後、鎖国型人事の日本の企業がどこまで学ぶかですね」と指摘した。
サッカー・ドイツ戦に勝ってよかったけれど、26人のうち19人が海外チームで活躍している選手ということで、グローバルな世界での戦いを心得ていた事実を、今後、鎖国型人事の日本の企業がどこまで学ぶかですね。
— 猪瀬直樹 【作家・参議院議員、日本維新の会 参議院幹事長】 (@inosenaoki) November 24, 2022
もう1人、筆者が注目したのは元LINE執行役員の田端信太郎氏の感慨だ。「なんだかんだ『失われたX年』とかいうけど、日本はスポーツは本当に強くなったよなあ。。。。」。
なんだかんだ「失われたX年」とかいうけど、日本はスポーツは本当に強くなったよなあ。。。。
— 田端珍太郎(パロディ)@ツイッター社に応募! (@tabbata) November 23, 2022
昨日の歴史的快挙は開催地の名前から「ドーハの奇跡」「ドーハの歓喜」などと呼ばれている。言うまでもなく1993年のW杯本大会出場を目前に逃した「ドーハの悲劇」が念頭にある。中年以上のサッカーファンにとっては因縁の記憶をようやくアップデートできた感慨でひとしおだろう。
ドーハの悲劇は、田端氏が想起する「失われた30年」の序盤だった。当時は、バブル崩壊に端を発する経済の長期停滞がここまで続くとは想像した日本人は誰もいなかったはずだ。GDPは世界第3位に踏みとどまっているが、実質経済成長率は世界157位に低迷し、1人あたりGDP(21年)もOECDで27番目に沈んでいる。
一方、サッカー界は同時期、世界的にも稀に見る高度成長だった。ドーハの悲劇が起きた1993年は、Jリーグ元年であり、その後の飛躍が始まった節目の年だった。紆余曲折はあったが、1998年フランス大会でやっと世界の舞台に出てからはここまで7大会連続で出場し続け、アジア王者にも92年以後、4度輝いている。女子に至っては2011年W杯で頂点に立った。
フランス大会当時、代表チームは全員Jクラブ所属だったが、今では欧州の名門クラブでレギュラーの活躍を見せる選手も普通になってきた。個々の人材は猪瀬氏の指摘通り、グローバル対応は堅調に進んだ。
競技を「社会変革の手段」としたサッカー界
さらに視界をマクロに広げてみよう。日本サッカー協会でかつて理事を務めた元幹部に面白い話を聞かされたことがある。